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- 鷹匠小路(近世)とは
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鷹匠小路(近世) 江戸期の町名八代【やつしろ】城下八代町のうちの武家地八代城の北東に位置する町名の由来は,当地に鷹匠が屋敷を与えられたことによる城下へ入る本街道筋最大の構え口(松江口)の,北の固めとして配置された扶持人屋敷を主とする小路で,屋敷割は全部で31(八代市史)天神社・法源寺・観音堂・光円寺がある天神社の社僧は当山派禅定院で,兄杉本院養静坊とともに細川三斎に随伴し,豊前中津から来て祈祷を勤めた杉本院事件として伝承される割腹事件はこの禅定院で発生した臨済宗法源寺は寛永年間の開基で,はじめは北松江村のそばにあって宗雲寺と号したのち長岡興長八代在城の時,慶安4年寺地を城郭内北東隅に移し,法源寺と改号した(肥後国誌)明治4年廃寺となり,寺跡には墓地のみが残る江戸期に八代が生んだ文学者の墓が多い浄土真宗西派光円寺は寛永13年の開基,はじめ南松江村にあり,正徳年間当地に移る(同前)観音堂は水月庵と称し,天正年間小西行長に破却され,本尊は井水に投じられたものを拾い揚げて安置し,細川忠興八代入城の時,本堂を再建したという(八代郡誌)現在の八代市鷹辻町・通町などのうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
鷹匠小路(近世) 江戸期~明治6年の小路名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」